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家庭教師をしていたころのお父さん、お母さんからの励ましの手紙

中学2年のT君のお母さんから 

 

ガクちゃんと出会って
 

 

 ほんとに偶然のことでした。「家庭教師をやってみたい」というガクちゃんの貼紙を見て、電話したのが始まりです。アパートに一人暮らしだということなので、夕食を一緒に食べてから子どもの勉強を見てもらっていますが、早いもので一年以上過ぎました。 

 

 我が家にも、老人ホーム入所中の身体障害者と授産施設通所中の知的障害者がおりますから、障害があるということで気にする必要はないと、最初の夜、お話しました。知的障害の義姉とは、障害者のサークルでも交流があり、お世話になっています。明るくまじめで、しかもきさくな性格で、障害者の方にありがちなヒネたところがないのに感心しています。 

 

 


中学2年のT君とツーショット

 

 

 義姉については結婚して以来の付き合いですから、手続きなどに関しては主人の母がやっていて、私は食に関してだけ気を配れば良かったのですが、数年前、義母が病気で身体障害者となってからは、そうはいかなくなりました。二人分の手続きや連絡・義母の介護などに走り回り、障害というものに向き合わなければならないことになったのです。 

 

 そんなころに、ガクちゃんは我が家にやってきました。 

 

 今回、秋田県には重度の障害者の先生がまだいないということを、初めて聞きました。先生を目指しているのは聞いていましたが、教員免許をとってからが、実は大変なんだということを改めて知りました。いったい山形県の方はどういうことになっているのだろうと、当地に思いが至ります。 

 

 幸い、ガクちゃんには応援して下さる方々がいらっしゃるし、何よりも本人の固い意志を感じていますから、きっと実現していけるのではないでしょうか。 

 

 頭の中に、ガクちゃんが特殊学級に力を入れている学校に採用になって、障害のある子もない子も一緒に校庭で遊んでいる光景が浮かびます。これが本当になったら、障害を持つ先生もいるということを、今まで知らないでいた人たちに理解してもらい、同じような先生の採用人数を増やしていくことにつながるのでは、と思います。 

 

 うちの子どもも、大きな目標に向かって日々がんばっているガクちゃんの姿を見て、自分もやる気になってくれれば良いのですが、こちらの方は思い通りにいかないようです。でも、今までガクちゃんの体について何か言ったことはないし、部屋から二人の笑い声が聞こえたりすると、特別やさしくするのではなく普通に接する今の気持ちを、大人になってからも持ったままでいてくれればいいなと思っています。 

 

 どうか夢の実現を信じて、これからもがんばってください。 

 

 

中学3年のK君のお母さんから 

 

作業所で、三戸さんに逢った時の第一印象は「すごい根性のありそうな人」ズバリ的中。将来の夢は「中学校の先生になること」、科目は「美術…?」ハズレ「英語…?」ハズレ、正解は数学でした。 

 

 「子どもの勉強を教えてくれる誰かいい人、知らない」と聞いて「俺がやる」と言われたときは、まさかそういう返事がかえってくるとは思いませんでしたが、三戸さんの自信の程を感じました。 

 

 正直言うと家族には「大丈夫か…?」と言われました。でも、私は「自分から俺がやると言ってくれたんだよ。自信がなければ、そんなこと言えないよ」と言い、「それもそうだ」ということで、翌日、子どもに逢ってもらいました。 

 

 そこでは、今、学校で使っている本をひろげ、三戸さんは自分から「勉強のやり方としては、やりたいように…」などと話しかけてくれていました。その様子を見て、私は子どもの気持ちを分かってくれそうな人だなと安堵しました。 

 

 ときに2階の部屋から大きな笑い声が聞こえてきたり、今、息子は「とても分かりやすく教えてくれて、三戸さんは教え方がうまい」と言っております。  

 

 ”教えることも勉強になる”と言ったときの気持ちを、どうぞ忘れないで下さい。そういう三戸さんこそ、絶対に中学校の教師になれる人だと思います。 

 

蛇  足 

 

 私たちの日常はあまりにも障害者、障害者という言葉が使われすぎ、日常生活の中で不必要な区別をしすぎている。小さいときから、もっと日常的に障害者を障害者とも意識しない生活、ふれあいながら、人々の意識改革がなされない土壌の中で、ノーマライゼーションは極めて困難がありすぎる。でも私は「教師になる」という夢、夢こそ大切なものはないと思う。空腹な心でぶつかっていく対称を見いだせないでいる人の多い現実の中で、そういう的がなく漂う若者が多いと言われる中で、闘える相手があるのはある意味では幸せなことだとも思います。 

 

 (最近、最も感動した詩) 

 

今日も一つ 悲しいことがあった 

 

今日もまた一つ うれしいことがあった 

 

笑ったり泣いたり 望んだりあきらめたり にくんだり 愛したり…… 

 

そしてこれらの一つ一つを柔らかく包んでくれた 

 

数え切れないほどの沢山の平凡なことがあった 

 

                             富弘  

 

 

 

兄D君、弟N君のお父さんから 

 

三戸さんと出会って
 

 

 三戸さんの教育に対する情熱を感じました。中学の頃から先生になりたいと思ったそうですが、その思いをずっ―と持ち続け、がんばっている姿に尊敬の念を感じ、応援したい気持ちになりました。二人の子どもを見て頂きましたが、二人とも数学が楽しいといっています。 

 

 我が子の知能の程度がありますので、そのまま成績に結びつくという訳には参りませんが、何よりも学問が楽しいということが一番なような気がします。 

 

 三戸さんは、ただ知識やテクニックを教えるのではなく、数学のおもしろさをどうやって子どもたちに伝えようかと苦心しているようです。これこそ、ほんとうの教師の姿だと思います。 

 

 現在は知育と体育が向上しましたが、逆に徳育が低下しています。やはり、この三つの知・徳・体のバランスが大事だと思います。この意味でも、三戸さんは子どもたちの心も大事に考えて下さる先生になれると思います。今、このような人物が必要となっています。 

 



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