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メンタルフレンド (1998.9.22)

 今日は生産活動だった。眩しく照らす太陽の下で木を切ったり、草を取ったりした。久しぶりに健康的な1日を送れたような気がしている。このような1日を与えてくれたセンターの先生たちに感謝している。 

 

 それにしても教育臨床体験は、いつも僕に新たな感動を与えてくれる。僕は新たな感動を感じることが大スキだ。今日の生産活動で、僕は木を切る機会があった。普段、なかなか木を切る機会がない。だから、僕は木を切る感じが分からなかった。今日の生産活動は木を切る人、畑の草を取る人、学習センターの周りの草を切る人に分かれた。僕は水川君と本間君と一緒に木を切ることになった。何のことはない。力仕事は男の子という論理だ。僕は水川君と本間君と大石先生が木をスパンスパン切っている姿を見ていて、僕も切りたくなってきた。いつもの僕の好奇心だ。僕は大石先生に「僕も木を切りたい」と言って、木を切らせてもらった。いつ斧を持ったのか記憶にないほど、しぶらくぶりに僕は斧を持った。斧を持って、何て斧は重たいのだろうと思った。僕の素直な感想。木を切るには斧を持ち上げ、振り落とさなくてはならない。僕は実際にやってみて、子の動作がものすごく力のいることなんだなぁと思い知らされた。木を切ることは、こんなにも大変であることが分かった。これが今日の生産活動の新たな感動。 

 

 今日の僕の感動は多くのものを示唆しているように思う。よく「百聞は一見に如かず」と言うが、今日の出来事はまさにこのことだった。人の様子を見て、分かったような気分になるが、実は全く分かっていない。実際にやってみて、様々な気持ちに出会えるのだ。これが生きることではないかと思う。このことから、センターに通う子どもたちを考えたいと思う。最後に、Nさんが大石先生の勧めで、木を切ることになった。僕は彼女の表情に注目した。自分と同じ感動を持つのではないかと期待していた。斧を振り落としたとき、彼女の目つきが変わった。急にマジな目になった。僕はこの微妙な変化に満足した。彼女の目は何かを掴んだ目をしていた。僕はその瞬間の気持ちを身体全体で表現するが、センターに通う子どもは自分の気持ちをうまく表現できないと思う。でも、そう思って切り捨てるのではなく、注目すると微妙に自分の気持ちを表現しているのだ。これは大きなステップと捉えたい。自分の気持ちを表現していくことは、他者に自分を解放していくことにつながる。生産活動はこのことを実感するとてもよい活動だと思った。



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