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メンタルフレンド (1998.10.16)

 最近、僕にとって「教育臨床体験」は、どんな意味を持つのかと考える。初めに渡された「平成10年度山形大学教育学部フレンドシップ事業のねらい」を読み返してみると、本事業の主体は「不登校児童・生徒を対象にした相談教室における援助の実体験」と書いてある。これまでのいろいろな活動を思い起こしてみて、果たして、自分の活動がこの事業の主旨にあっているのか疑問に思う。なぜなら、適応指導教室が行う活動のほとんど全て、僕にとって、初体験であり、僕は体験そのものを楽しんでいるからだ。そう思うことじたい、事業の主旨に反していると思うのだが、何事に関しても、楽しいことに越したことはないと開き直っている。 

 

 今日の紅葉狩りで面白山に行き、紅葉川渓谷を散策した。1人しか歩けない細い道を足が滑るのを気にしながら歩いたり、大きな石のある道で足場を確かめながら歩いたりと。このような体験は初めてであり、とても貴重な体験をさせてもらった。この活動のめあてとして、「秋を感じさせるものを見つけてこよう」と書いてあった。僕はこのめあてよりも初体験の方が強く印象に残った。 

 

 今日はM君との触れ合いを書きたい。彼は紅葉川渓谷を散策しているとき、僕の手を引いてくれた。途中まで、本間君の腕を掴んで歩いていたが、休憩をしているとき、彼はモジモジと僕に手を差し出した。僕は快く彼の行為を受けた。後で話を聞くと、山本先生が彼にきっかけを与えたそうだ。彼は黙々と僕を先導した。たぶん、彼の心の中に恥ずかしいという気持ちがあったのではないかァ。僕はよく人の手を借りる。慣れた友達は僕が力をいれてほしいときにいれてくれ、声掛けも適切だ。初め、M君は自分で志願はしたものの、心の中で動揺していたのではないかなァ。彼の手から、伝わってきた。彼はただ手をつないで、僕を先導すればいいと思っていたのではないかなァ。だから、力をいれてほしいところでは「力をいれて、引っ張って」と言っていった。彼の先導は次の休憩所までだった。後で山本先生から「疲れたけど、ありがとうと言ってくれて嬉しかった」と彼の感想を聞いた。それを聞いて、僕の心が熱くなった。子どもたちに一番伝えたいことが伝えられたと感じたからだ。僕がいろいろな活動に積極的に参加することは、このことを目的にしているから。 

 

 僕の気持ちを受けとめてくれて、M君にきっかけを与えてくれた山本先生に感謝したい。 

 

 M君にとって、僕を先導した経験はどのような意味を持つのだろう。僕には分かり得ない。ただ、僕はこのことをとても大切にしたい。 

 

 「疲れたけど、ありがとうと言ってくれて嬉しかった」という彼の言葉、なんてステキな言葉なんだろうと思う。僕はこの言葉を大切にしたい。 

 

 山本先生が書いた「野外学習について」に野外学習の主なねらいが述べられている。3つのねらいの1つに「子どもにとって必要と考えられる”心にひびく”体験を通して、感動や驚きを実感し、豊かな感性を育てること」と書かれている。 

 

 おこがましいことだが、M君はこのねらいが達成されたのではないかと思う。僕は彼を通して、心にひびく体験をさせてもらった。彼に感謝したい。この気持ちを後で彼に手紙でも書こうかなぁと思っている。 

 

 今日の彼との触れ合いで、改めて、ありのままの自分で活動に参加することの大切さを思い知らされた1日だった。



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